三河武将一覧

本多忠勝

レベル:数

80:7

合戦配置陣

本陣四天王

タイプ

猛将

構成

名前職業レベル初期付与使用技
本多忠勝槍侍65天下無双撃無傷の兵法竜跳虎臥・改一所懸命・極沈黙の霧・壱蘇生の秘薬、守護術
本多忠朝鉄砲鍛冶60陽動、守護術
本多忠政60反射結界僧兵連撃・改閻魔撃・弐大日如来秘法諸法無我
徳川方士隊懐剣陰陽60結界星辰法低速呪霧・四
砥鹿社神官弓神主60詠唱の韻・極子守歌
服部党練達刀忍者60
三河製茶人槍薬師60再生

特徴

部隊アイテム

ドロップアイテム

旧部隊アイテム

武将列伝

徳川家臣。徳川四天王の1人。
「家康に過ぎたるもの」と評された家中随一の猛将。
名槍・蜻蛉切を手に57度の合戦に参陣し傷一つ負わなかったという。
本多忠勝
1548-1610
鹿角脇立兜をかぶり、止まったトンボさえも真っ二つになるという名槍「蜻蛉切」を片手に、家康とともに主要合戦にはほとんど参陣した。
姉川の戦いでは朝倉勢1万を相手に単騎突入。小牧・長久手の戦いでは豊臣勢数万に対してわずか三百の手勢で渡り合い、小田原の役の際は、別働隊として関東の諸城を攻略している。

家康の関東入封に際して上総大多喜十万石を拝領し、関ヶ原の戦い後は伊勢桑名で十万石の他に次男忠朝が大多喜五万石を領する。慶長十五年十月十八日六十三歳で死去。
本多忠朝
1582-1615本多忠勝の次男。
父に劣らぬ勇将で関ヶ原の戦いに父と共に従軍して活躍した。大坂冬の陣で徳川家康に「父に似ずに役立たず」と罵倒され、その汚名返上するために決死を決意。大坂夏の陣にて毛利勝永の隊と戦い壮烈な戦死を遂げる、その大立廻りは戦勝記念の大坂夏の陣図屏風にて中央の主役級として描かれている。 また「酒封じの神」としても知られている。
本多忠政
1575-1631本多忠勝の長男。
15歳で小田原征伐に初陣する、父と共に岩槻城を攻め破り軍功を現す。父忠勝の隠居後は家督を継ぎ、関ヶ原の戦では真田上田城を攻め、義兄真田信之と共に真田昌幸説得にあたった。大坂冬の陣、夏の陣にも勇戦、埋立奉行を担当した。

その他情報


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Last-modified: 2022-04-19 (火) 14:32:47
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