#author("2023-03-21T02:00:55+09:00","","")
【[[独眼竜の野望]]】~
【[[人取橋]]】~
【[[小田原の陣]]】

*&ruby(もがみ よしあき){最上義光}; [#vecebfec]

**レベル:数 [#a0a068d6]
75:6

**家紋 [#p373279d]
なし(人取橋)&br;豊臣(小田原の陣)

**戦闘開始時セリフ [#x3d67c70]
***小田原の陣 [#jefe6660]
 今度こそ
 引導を渡してくれん。

**構成 [#kaf914e5]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期状態|~使用技能|
|最上義光|一刀神主|75|&color(red){▲};&br;行動不能耐性|''[[出羽の狂風]]''、''[[戦雲の魁]]''、[[明神閃・極]]、[[神代の雷]]、[[神代の風]]、[[神儀招嵐・改]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[武運長久]]|
|氏家光氏|一刀忍者|70|&color(red){▲};|[[奪命五連]]、[[赤烏]]、[[斬影二連・改]]、[[結界破り]]、[[抗術破り]]、各種[[遁術>雷遁の術]]、鎧通し|
|氏家守棟|一刀陰陽|70|結界、術結界|[[雷滅]]等各種全体術、[[鬼道凶禍]]、[[千紫万紅]]、[[六壬凶禍・弐]]、[[星辰法]]、[[結界・参]]、[[金縛り]]、[[小細工無用]]|
|志村光安|鉄砲鍛冶|70|&color(red){▲};|[[怒号・改]]、[[千鳥落し]]、[[四段撃ち]]、[[零距離射撃]]、守護術|
|楯岡満茂|鉄砲鍛冶|70|&color(red){▲};|[[怒号・改]]、[[三>三段撃ち]]~[[四段撃ち]]、[[零距離射撃]]、[[乱射乱撃]]、[[狙撃・改]]、守護術|
|延沢満延|杖薬師|70||''[[全体完全治療]]''、''[[完全治療]]''、[[全体治癒]]、[[救護・参]]、[[全体救護・弐]]、[[禍因の風]]/[[弐>禍因の風・弐]]|

**特徴 [#pd082f0f]
:[[出羽の狂風]]|全体術+術耐性が20%低下(最大?%まで)~
抗術や回復2など、大幅に回復出来るものや軽減できるものが無いとすぐに削られる
-[[出羽の狂風]]は術耐性-100%の[[孔雀明王法]]ありで2400~3000程度
-低頻度の[[零距離射撃]]を除くと近接攻撃が1と2だけなので2が落ちた後は[[警護一新]]で1の[[明神閃・極]]を釣る必要がなくなる
-45の鉄砲は[[四段撃ち]]で後衛に4000以上のダメージ
-4の[[怒号・改]]は魅力560程度で30秒になる
-[[零距離射撃]]は極みが無いと鍛冶瀕死級~
開幕に飛んでくる事もあるのでこちらも対策が必要
-1の生命は100,039(±200)
-23は生命約60000
-5の生命は100,000前後
-6の生命は72,565(±100)気合は6,300前後+
-[[勇士の章]]となった今でも決して弱くはない。特に[[出羽の狂風]]への対策を怠るとジリ貧になりがちなので注意。

**備考 [#t64e396d]
-[[人取橋]]、[[小田原の陣]]とも同じ徒党構成。
-[[忘却の魔境]]において、1の最上義光(神主)は[[蘇生の秘薬]]を、5の延沢満延(薬師)は、蘇生の術を持っています。

**出現地域 [#q9c901ec]
-[[人取橋]]
-[[小田原の陣]]

**ドロップアイテム [#ud495749]
-[[義光討取の証>討取の証]]
--[[義光公の力石]]

**列伝 [#kc8a042b]
:最上義光(1546-1614) もがみよしあき|最上家11代当主。義守の嫡男。父を隠居させ、弟を殺して当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺、灌漑や産業の奨励など、権謀術数の限りを尽くすとともに民重視の内政を行い、最上家最大の版図を築いた。~
しかし、近年では弟・義時は重要な史料に名前が見つからないなどの理由から、後年の創作であると見られている。~
また妹の義姫に甘かったり、敵軍の将が義光に降ったりした背景には彼の人柄が広く知られていたため等の逸話が語られているため、現在では狡猾な謀略家というイメージも大分変わってきている。~
尚、妹の義姫が政宗の母親であるため、政宗にとっての伯父にあたる。
:氏家光氏(1568-1627) うじいえみつうじ|最上家臣。成沢家の出身で、守棟の跡を継いだ。[[関ヶ原合戦>関ヶ原の陣]]では、侵攻してきた[[上杉景勝]]軍を相手に奮戦する。家親が当主になると、領国の治政を担当した。
:氏家守棟(1534-1596) うじいえもりむね|最上家臣。定直の子。知略に長け、天童家や白鳥家の討伐に貢献した。また伊達家への使者を務めたり、真室城の攻略で戦功を立てるなど、各方面で活躍した。
:志村光安(1565-1609) しむらみつやす|最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。[[関ヶ原合戦>関ヶ原の陣]]の際は寡兵で長谷堂城を半月の間守り、[[直江兼続]]の大軍を見事に撃退した。
:楯岡満茂(1556-1639) たておかみつしげ|最上家臣。湯沢城主。[[関ヶ原合戦>関ヶ原の陣]]の際には小野寺家の攻撃を受けたが、孤軍奮闘して居城を守り抜いた。知行は最上家臣団の中で最高の4万8千石を領し、本庄満茂と名乗った。~
また連歌にも堪能であったとされる。
:延沢満延(1544-1591) のべさわみつのぶ|最上家臣。はじめ天童家に仕えたが、嫡男・康満に最上義光の娘・松尾を迎える条件で和睦した。大力剛勇の武将で、義光は内心脅威を感じていたという。

**その他情報 [#h8b35dd2]


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