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特殊部隊
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==== 冷戦期 ==== [[陸上自衛隊]]では、まず創設直後の[[1954年]]9月に[[陸上自衛隊情報学校|調査学校]]を設置して{{Efn2|[[1952年]]1月に設置された[[警察予備隊]]総隊学校5部を起源とし、同年10月には[[保安隊]]業務学校第2部、[[1954年]]7月に陸上自衛隊業務学校第2部となり、9月に調査学校として独立した{{Sfn|兒嶋|2016}}。}}、旧[[陸軍中野学校]]の卒業生を教官として招聘するとともに[[アメリカ陸軍]][[アメリカ陸軍特殊部隊群|特殊部隊]]とも連携し、特殊作戦に関する研究に着手した。[[1956年]]、元[[特務機関#対英インド独立工作における特務機関|F機関]]長である[[藤原岩市|藤原]]陸将補が学校長に補されると、敵後方地域等で情報の獲得や遊撃活動等に任ずる幹部を育成する[[対心理情報課程]](現在の心理戦防護課程)が開講されたが、この課程は当初、直截的に"SF課程"({{Lang|en|Special Forces}})と称されていた{{Sfn|「赤旗」特捜班|1978|pp=163-197}}。 これとは別に、正規戦での遊撃戦要員育成のため、[[1956年]]には、[[陸上自衛隊富士学校|富士学校]]で[[レンジャー (陸上自衛隊)|レンジャー]]課程が開始された{{Sfn|谷|1988|pp=45-61}}。[[1958年]]には[[空挺兵#空挺部隊|空挺部隊]]として[[第1空挺団 (陸上自衛隊)|第1空挺団]]が編成されたが、こちらも精鋭部隊として、特殊作戦への投入も想定されていた{{Sfn|ストライクアンドタクティカルマガジン|2017|p=27}}。また[[北部方面隊]]でも[[ソビエト連邦軍]]の上陸に備えて遊撃戦の準備を進めており{{Efn2|[[1966年]]には[[統合幕僚監部|統合幕僚会議]]でも討議されていた{{Sfn|堀|1996|pp=324-325}}。}}、[[1961年]]には、まず[[倶知安駐屯地]]において北部方面総監部第三部に特別戦技訓練隊が設置され、[[1962年]]には[[名寄駐屯地]]に移駐し{{Sfn|谷|1988|pp=45-61}}、[[1971年]]には[[真駒内駐屯地]]で[[陸上自衛隊冬季戦技教育隊|冬季戦技教育隊(冬戦教)]]と改称された{{Sfn|谷|1988|pp=154-168}}。 この他、[[海上自衛隊]]では[[第二次世界大戦]]に敷設された機雷や不発弾、海中廃棄火薬類に対する[[爆発物処理]](EOD)を担当する[[水中処分員]]の育成を急いでいたが、当初、[[アメリカ海軍]]ではEOD課程に外国人留学生を受け入れていなかったことから、かわりに、[[1957年]]より、[[フロッグマン]]を養成するUDTra({{Lang|en|Under Water Demolition Training}})課程に留学生を派遣していた。このUDTra課程は[[Navy SEALsの選抜訓練]]の前身にあたるもので、極めて過酷であり、海自からの最初の留学生は訓練中に殉職している。その後、[[1964年]]よりEOD課程への留学生受け入れが開始されたことから、UDTra課程への派遣は行われなくなった{{Sfn|黒川|1992}}。
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