争覇の章
過去の遺物
クエスト
上級者クエスト †
- アカウントが争覇の章以降であること。
- レベルが50以上であること。
- 右京の《楠木正虎》と会話することでクエスト開始。「剣聖信綱編」「不老秘薬編」のいずれかの依頼を選べる。
- 両方を同時に引き受けることはできない。
- 引き受けている依頼の中断か達成によって、もう一方の依頼を引き受けることができる。
- 「1つのキャラで」両方達成することによりPS3のトロフィーを獲得することができる。
- 上級者クエストは、1キャラクターにつき1回しか達成できない。
- 解り易く言い直すと「剣聖信綱編」と「不老秘薬編」をそれぞれ1回クリアすることができる。
片方達成後の再度開始の場合、未クリアの方を開始することができる。
この際、既に片方は達成済なので、当然途中変更はできない。
- 支援可能対象の敵を倒すと自分以外の徒党員全員にその場では熟練を獲得できる。さらに、《楠木正虎》に手伝い報告することによりびっくり上級染料と多彩入魂石を得られる場合がある(依頼欄に追加される)。
- 例として、7人全員対象者であった場合は1戦で6人分手伝ったことになり、支援報酬も6回分得られる
- クリアするためには侵攻型ダンジョンの扶桑の森に入場する必要がある。該当クエスト時に各自行けるようにしておく必要がある、手伝いも同様である。
- 一度依頼をキャンセルし、再度受け直した場合は、前回報酬を貰った直後まで巻き戻る。
- 再度クエストを進めると、同じアイテムを2個入手することができるが、使用できるのは後で手に入れた方だけ。
クエスト詳細 †
“上級者クエスト”は独立した2本の物語、“剣聖信綱編”と“不老秘薬編”で構成されています。
- 剣聖信綱編
“剣聖”信綱こと上泉信綱は上野国の生まれ。長野業正、長野業盛親子に仕えた武将で、剣の腕に優れ、剣術“新陰流”の開祖とされる人物です。その信綱から京に住む山科言継に、一通の文が届くところから物語が始まります。
「武の頂点についてどう考えるか」
文には一言そう書いてありました。
文人である山科はその問いに答えられるはずもなく、悶々とした日々を過ごします。そこへ、楠木正虎に紹介される形でプレイヤーの皆さんが訪れる、というわけです。
山科はプレイヤーの皆さんの訪問をたいそう喜び、「あなたなら、きっと信綱殿の問いの答えがわかるでしょう」と武人の名が記された信綱から届いた文を手渡してくれます。
- 不老秘薬編
古今東西、数多の人々が追い求め、いまだ手にすることのできない“不老不死”の秘密。その禁断の秘密に迫った、とある秘薬を巡る物語です。
解説 †
- 楠木正虎(くすのき まさとら)
- 1520-1596 。足利義輝、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉に仕えた人物。楠木正成の子孫と称した。世尊寺流の当代一流の書家であり、右筆を担当した。
- 山科言継(やましな ときつぐ)
- 1507-1579。戦国時代の公家。言継卿記の著者としても知られる。
朝廷の財政の建て直しを図り、各地を奔走。その過程で織田信秀・平手政秀、義理の叔母にあたる寿桂尼・今川義元、北畠具教・具房、織田信長・徳川家康ら多くの大名と交流をもった。
信長上洛時には朝廷との橋渡しとして活躍した。
- 富田勢源(とだ せいげん)
- 1523-没年不詳。中条流の剣豪。朝倉氏に仕えた。
富田重政は義理の甥に、富田景政は弟にあたる。弟子に鐘捲自斎らがいる。
眼病を患ったため家督を弟に譲っており、そのあたりがゲーム中でも再現されている。
- 曲直瀬道三(まなせ どうさん)
- 1507-1594。戦国時代の医師。日本医学中興の祖として田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される。著書は啓迪集など多数。
足利義輝、細川晴元、三好長慶、松永久秀、毛利元就、織田信長など多くの武将を診察した。
- 鐘捲自斎(かねまき じざい)
- 生没年不詳。鐘捲流剣術の祖。富田景政の高弟。弟子には伊東一刀斎の他、佐々木小次郎がいるとされる。
- 松寿丸
- 1552-1611。稲富祐直の幼名。戦国時代から江戸時代初期の砲術家。稲富祐秀の孫。稲富流砲術の開祖。
はじめ、一色氏に仕え、一色氏滅亡後は細川忠興に仕えた。関ヶ原後は松平忠吉や徳川義直に仕えたという。
弟子には井伊直政や浅野幸長などがいる。
- 橘屋又三郎(たちばなや またさぶろう)
- 生没年不詳 堺の貿易商人。種子島に赴き、八板金兵衛から鉄砲製造技術を習得。堺にかえり鉄砲の製造と販売をおこなった。
- 八板金兵衛(やいた きんべえ)
- 1502-1570 戦国時代の鍛冶。
種子島時堯に命じられ、篠川小四郎とともに鉄砲の複製を行う。1545年 国内初の国産鉄砲製造に成功した。
- 篠川小四郎
- 種子島時堯家臣。八板金兵衛とともに鉄砲製造を行った。
- 田布施忠宗(たぶせ ただむね)
- 生没年不詳 河内国の砲術家。田布施流砲術の祖。1537年南蛮にわたって砲術をおさめたという。
- 杉之坊照算(すぎのぼう しょうざん)
- 生年不詳-1585 自由斎流の開祖。紀伊国根来寺の院主であり、根来寺僧兵「根来衆」を率いた。羽柴秀吉による紀州征伐において討死した。
- 草深甚四郎(くさふか じんしろう)
- 生没年不詳。加賀生まれの剣豪。塚原卜伝と立ち会い、剣では敗れたが槍では勝ったとする説がある。
- 猪飼甚介
- 生没年不詳。猪飼昇貞。堅田水軍の棟梁。
六角氏、浅井氏に属した。その後、織田信長に降り明智光秀配下として、琵琶湖の水運・漁業を統轄するなどした。
- 師岡一羽(もろおか いちは/いっぱ)
- 1533-1593 戦国時代の剣豪。塚原卜伝の弟子。一羽流の開祖。
常陸土岐原氏に仕え、その後は北条氏に属した。豊臣秀吉の小田原征伐の際に、土岐原氏は佐竹義重に敗れる。その後は兵法家として道場を開いた。
新撰組の近藤勇が会得したことで知られる天然理心流も一羽流の系統といわれる。
- 施薬院全宗(やくいん ぜんそう)
- 1526-1599 戦国時代から安土桃山時代にかけての医者。
もとは比叡山の住持であったが、織田信長による比叡山焼き討ちの後、還俗。曲直瀬道三に入門し、漢方医学を極める。
後、豊臣秀吉の侍医となる。側近としても活躍し、伊達政宗や佐竹義重との交渉役などを務めた。
- 橋本一巴(はしもと いっぱ)
- 生没年不詳 戦国時代の武将。織田信長の鉄砲の師匠。
- 宇野源十郎
- 宇野家治。北条家臣。御馬廻衆の一人。
- 快川紹喜(かいせん じょうき)
- 生年不詳-1582 臨済宗の僧。
美濃出身。1564年 武田信玄に招かれて恵林寺に入寺、外交僧としても活躍する。
織田信長により武田氏が滅亡すると、六角義治らをかくまい、引渡しを拒否したことから焼討ちにあい、焼死を遂げた。このとき残したとされる「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」は有名。
また、明智光秀とは同じ土岐氏であったと見られ、その死が本能寺の変に影響したとする見方もある。
弟子には伊達政宗の教育の師である虎哉宗乙がいる。
- 永田徳本(ながた とくほん)
- 1513-1630 戦国時代から江戸時代にかけての医師。
武田信虎・信玄の侍医。武田家滅亡後は諸国を巡り、貧しい人々に無料で薬を与えたり、安価で診療を行ったとされる。どんな治療を行っても報酬として16文以上の金額を受け取らなかったとする伝承や甲斐における葡萄栽培法の改良を行ったとする伝承があり、クエストに反映されている。
- 武田信虎(たけだ のぶとら)
- 1494-1574 甲斐の大名。武田信玄の父。
武田宗家の統一、続いて甲斐統一を果たす。
1541年 子の晴信により甲斐から追放される。その後は主に駿河や京で過ごした。
- 徐福(じょふく)
- 中国の秦の時代(紀元前3世紀頃)の方士。
始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、東方に船出したとされる。
備考 †
その他情報 †